こんにちは、REI(真珠海)です
2023年7月のウズベキスタン旅
サマルカンドのグーリアミール廟を訪れました
グーリアミール廟ってどんなとこなんだろ?
何も知らずに訪れましたが、とても素晴らしい場所だったので
どんなところだったのかをまとめてみます!
ここまでのウズベキスタン旅まとめはこちら↓↓
グーリアミール廟はどこにある?
グーリアミール廟は
レギスタン広場やビビハニムモスクのあるエリアから少し離れた所にあります
離れていると言っても
徒歩15分なので気候の良い時期であれば街並みを見ながら散歩気分で行くことができる距離です
この辺りは平坦ではなく凸凹した丘なので多少の登りくだりはありました
新市街に近い所にあるので新市街観光と合わせても良さそうです
グーリアミール廟って何?
グーリ・アミール廟(Guri Amir)廟は
1370年〜1507年にかけて中央アジアを中心に栄えたイスラム王朝ティムール朝の創始者、アミール・ティムール(以下、ティムールさんと呼ばせていただきます)の墓廟として知られています
元々は若くして戦死した孫のムハンマド・スルタンのために作られたお墓だったようですが、1405年に中国へ遠征途中だったティムールさんが急死して(T ^ T)急遽ここに埋葬されることになったそうです
ティムールさん、
本当は故郷のシャフリサブスに自分のお墓を建設してたけど、冬で(しかもめっちゃ寒い冬)雪で道が閉ざされていたために故郷での埋葬を断念したんだそう
他にも、残された人たちがティムールさんが死んだことを隠したかったからなんて逸話とか、説は色々あるみたいです
(…こんな感じの話は昔の偉い人にまつわる言い伝えでよく聞きますね)
そんなこんなで、予定外でティムールさんのお墓になっちゃったのがこちらのグーリアミール廟なのでした
ちなみに、このグーリアミール廟はペルシア語で『王の墓』という意味らしいd( ̄  ̄)
誰が埋葬されてるの?
こちらの廟にはティムール朝の王とその家族と近しい人が埋葬されているそうです
こういう方々が埋葬されているのだなぁと
知っていたら面白いかも!?しれません
特に後継者に指名されなくて反乱起こした長男とか
ティムールさんのメンター?的な方も同じ墓に埋葬されてるとか
これを知っていれば感じ方が変わったかもしれません
…私は旅が終わってから調べるのでこの時は何も知らずでした
内部に潜入
中に入場します
入場料が必要です
門を潜ると中庭の奥に建物があります
…そう
ここは中庭なんだって
本来は左右にあった建物が崩落してしまっています
向かって左側にメドレセ(神学校)で
右側にハーンカー(修道場)があったみたい
展示されている模型と外に残された枠組みとを照らし合わせると昔の姿を想像できます
ティムールさんが作り始めたこの廟は、ウルグ・ベクの時代に完成して王族の墓として使われるようになりました
外観の特徴はタイルで覆われたドームの凸凹したデザインです
このような形にするためにドームは二重になっているそうです
(=゚ω゚)ノ
かつてはレギスタン広場と同じくかなり荒廃していたみたいですが、現在は修復が進んで綺麗になっています
修復前の様子とか模型とか
なかなか見ごたえのある展示です
そして
この内部の修復には
金を3.7Kg使用したらしい!
Σ(゚д゚lll)
今現在の相場(2024年)で5000万円くらいの金…
目が眩みます
中央にある長方形の石
石の棺のように見えますが、実際にここに遺体があるわけではありません
眠っているのはこの地下にあるお部屋
石の位置の真下に実際の棺が安置されているそうです
私が訪れた時は地下室に入ることはできませんでした
盗掘と呪いの話
立派なお墓といえば付きものなのが盗掘!
こちらのお墓も盗掘(墓荒らし)にあっています
ティムールさんの棺にはこんな意味の文言が書かれているそうです
『私が死の眠りから目覚めた時、世界は最も恐ろしい恐怖に見舞われる』
棺の内側にはこんな文言も…
『墓を暴いたものは、私より恐ろしい侵略者を解き放つ』
え?
怖っっっ
盗掘に遭わないように脅し文句を書いたんだね!
と思いたい所ですが
実際にこの墓を暴いた人のお話がありました
墓荒らしの話〜その1〜
1740年
イランのナディール・シャーはアミール・ティムールに心酔し、彼の石棺を持ち帰ろうとしました
その後、国内で不幸な出来事が続きナディール・シャー自身も暗殺されていしまいました
補佐官たちは石棺の持ち出しが悪い兆しであると考え、元の場所に戻したそうです
偶然かな?
…でもその後に不幸続いたら…
ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
墓荒らしの話〜その2〜
1941年6月19日
ソ連の調査隊が発掘調査で地下室を発見してティムールの石棺を見つけました
石棺の中から見つかったティムールさんの遺骨から身長や特徴、どんな顔だったのかの再現までできたそうです
そしてその2日後…3日後?
6月21日の深夜(6月22日の早朝)
ナチスドイツによるソ連侵攻が始まりました
偶然かもしれませんが、棺を丁重にイスラム式で埋葬しなおした後にソ連側が反撃に転じたそうです
これ以降
棺はしっかりと埋葬され現在もこの地下に安置されているんだって
なんかファラオの呪い?みたいな話で、興味をそそるエピソードでした!
周囲と夜の様子
この日はグーリ・アミール廟すぐ近くのホテルに宿泊していたので
ライトアップされた姿も見ることができました
夜9時頃
昼間が暑い夏の時期なのでまだまだ人の出歩いている時間帯です
公園のベンチにもたくさんの人が腰を下ろして談笑している風景を目にしました
ライトアップを見学に来た人で賑わっています
こちらは深夜0時頃の写真↓↓
晩御飯を食べてホテルに戻った深夜0時頃
まだライトアップされていて美しい姿を見ることができました
もちろん中に入場することはできませんが外観だけでも十分その姿を堪能することができます
ちなみにホテルのテラスからもライトアップを見ることができました
この辺りに宿泊するのも良さそうです
余談ですが、
この日は23時半頃なかなかYandexタクシーがつかまらず、まぁ歩ける距離だしと諦めてレストランから30分くらいかけて徒歩で帰ってきました
新市街からここまで歩く間に街を歩く人とは数人程度すれ違いました
治安の悪さは感じず、昼間が暑いので夜が長いのだなという雰囲気です
絶対に安全とは言えませんが
まぁ個人的には平和な空気を感じたサマルカンドの夜でした
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